Purification

一連の大魔法峠の歌詞が持つ魅力は、一応それぞれ非常に大事そうな概念を、それぞれ最もピュアに駄目そうな形で詩に紡いでしまう傾向にあるのではないかと思う。このダメさ加減ときたら尋常ではない。が、純粋なダメさは、それはそれで一種の真実臭いものを含む。あるいは現実と呼ばれるようなものの純粋な現前を暗示する。けれど、それでも駄目なものはダメなので、視聴者は二つのピュアネスの間でディレンマに陥るのだ。たぶんそんな感じだ。