邪悪なそんざい

ゆらぎの神話』って、不統一(ゆらぎ)の中に物語(神話)を見出して行こうということだと思うのですが、実際のところ全くの不統一から物語を拾い出すのはいろいろと難しく、また全くの創作を続けるのはかえって面倒なので、事実上一連の枠組みというか、神話内神話グループができているように思います。キュトスの姉妹とか、きゆらとか、アルセスとか、紀神とか。
僕は主に面倒くさいという理由で、ほとんどそういった他の神話グループを読んでおらず、結果として他の神話群にほぼ触れないまま、ひたすら思いつきで記述を重ねることになっています。しかしこの行為はある意味反・大神話的というか、『ゆらぎの神話』をただの『ゆらぎ』に終わらせないとする底流に全く沿わない行動であることは確かで、どうしたものか。
もちろん、そんなことなので、他人からのアプローチはほぼ期待しておらず、むしろたまに構って貰えるだけで十分幸せなことだと本人は満足しているのですが、問題は『ゆの神』を世界、あるいは物語として導いていこうとしている“まじめな”人々にとって、僕のような“ふまじめな”人間が、それをかき回してしまうことは、たいそう不快ではないかとも思うのです。
何せ僕自身、意味がないと物語ではないとか、不要な要素はいらないとか、いつも偉そうな事ばかり言っていますから、自分がやっていることが大体どれくらい破壊的なことなのかは理解しているつもりです。努力している人を邪魔するのにはさほど努力はいらない。努力している人の傍らに、さっぱり努力しない、分からず屋を配置すれば良いだけです。困ったことに。
分かってるなら横断的努力をしなさい、というもっともなお叱りの声も聞こえるのですが、やはり怠け者にはどうにもなりません。結局のところ一神教というのは、実に怠け者向きなのかもしれないなあなどと最近思います。だって他の要素を考える必要がないんですもの。たいそう分かりやすい。自己発電で全てが解決。LAWの神はCHAOSに根を発し、その本質はずぼら。