神は死んだと言う前に

http://d.hatena.ne.jp/hajic/20070111/p3
「たかが」という言葉が相応しいとは思わない。けれど、それほど的はずれだとも思わない。たかがブログでありたかが新聞でありたかが小説でありたかが論文である。つまりは姿勢の問題だ。それがどんなメディアであって、またどんな人だとしても、この姿勢は失うべきではないと思う。人類の思想の歴史は三日で完成した訳ではない。あなたが今抱えている問いについて、数千年の間、数え切れない人々が考えに考えを重ねてきた。だから無駄である、と言いたいわけではない。ただ、断定することはできない問題に向き合う時、語り手は謙虚な姿勢を崩すべきではないと僕は信じている。あなたと同じことを数え切れない人々が思いつき、すがり、そして、あえなく否定されてきたのだ。それは数多の人生を飲み込んだ問いである。たかが個人が答えを見つけた気になるのは軽率に過ぎず、ある意味で人類への冒涜に近い。絶望を見つけるのは容易い。希望を信じるのは難しい。憂鬱なだけの物語を書くのはサルにでもできる。正義を信じられるのは子供だけだ。真摯に問題に向き合った時、答えは自ずと祈りになるだろう。そして祈りは希望であるが、それはたかが期待でもある。もはや言葉はない。


追記:
アニメや漫画やゲームが主に子供を対象にしている事実は揺るがないだろう。内容もだいたい子供だましである。悪いとは思わない。ただし、何事にも向き不向きはあるだろうとは思う。