冬の視線

冬で何をイメージするかと言うとBARのカウンターで飲む朝のエスプレッソだったりする。全然原風景でもなんでもない、二十歳を越えてからの、しかも数えられる程度の経験に過ぎないのだけれど、僕の中ではそれはあの乾いて冷え切った朝の空気と深煎り豆の匂いと、ぞんざいにくず箱に打ちつけられるフィルタフォルダーのガチン!というひっきりなしの音によって、あたまのどこかにしっかり固定されているらしい。紅茶を淹れる優しく平穏な時間は好きだ。コーヒーをいれる機能的な時間は一番身近かもしれない。でもそのどちらとも違う場所にBARの時空間というものはある気がする。もしかするとこれが心象風景というものなのだろうか。あの苦い苦いどろりとした液体に砂糖を溶けなくなるほど入れて飲む。寒いから外套は欠かせない。店員はカウンターの後ろで時計の針のように動き回る。朝の仕事前の客でもとから窮屈な店内はさらに狭い。一息で飲み干されたカップを流しに引く動作の続きで背後に振り返り、出し終わった豆をガチンと捨てて新しい豆を補充。戸口から流れてくるタバコの匂い。カウンターに小銭が置かれる音、カップと匙が触れる高い音。ドアをくぐると石畳の街角はますます凍り付くように乾ききって、見上げれば色の不明瞭な空の下に背の高い無言の町並みが続く。冬は一年で一番好きな季節だと言っていい。だからあの光景はきっと僕の一番大好きな光景の一つなのに違いない。ぞんざいさと気配り、人混みと孤独、苦みと甘み、鈍い音と高い音、暖かな服と冷えた空気。空と街。色んな物語がそこにはあって、そこからまた色んな物語が始まる。事実何も変わりが無い日常だとしても、あの朝の空間にだけは一種研ぎ澄まされたものがある。そして裁判長の小槌のように振り下ろされるあのフィルタフォルダーの音は、人混みと騒音の中で、何かしらひっきりなしの判決を出し続けている。