美少女ゲームという他者性

海燕さんの日記が久方ぶりに絶好調である。ネタがなくなるとやけくそを連発する人なのでこの状況は好ましい。どうやら切っ掛けは『お嬢様組曲』らしいからあながち萌えゲーも馬鹿にしたものではない、などと冗談はともかく。

他者性というキーワード、“自分ではない”他者存在の積極的な把握、言い換えるなら「自分と絶対的に隔たった他者」という関係を、美少女ゲームのキャラクターたちと主人公との関係から語ろうとするくだりをとても興味深く読む。

美少女ゲームのキャラクター造形などというものは、むしろ他者性からは最も隔たった存在だと一般に理解されている(し、実際にもそうだろう)にもかかわらず、それを題材に他者性を語ろうとする姿勢はもはや皮肉としか言いようがないのである。

以前、ADVの本質は意図された失敗ではないか、と書いた。複数で構成される意図された失敗、明白な偽の積み重ねを通して、真の存在とその本当の意味を指し示す。美少女ゲームのメディアがADVであり、その内容が偽であると認識されていること。これもまた皮肉そのものに思える。