id:REVさんのところの8/3付けトピック「学究崩壊」(原文ママ)リンク先を読んで。
環境柄、教育学の人々ともしばしば話をする機会があったのですが、彼らの(全員ではありませんが)主張の中で一番違和感を感じていたのが、「学校という権威システム」という概念です。曰く、「学校は民主主義を生み出すための機関」でありながら、「教師の側が一方的に知識・手段を抱え込む」ことによって、「権威的にこどもたちを教育する仕組み」になっている、けしからん、と、こう言うのです。つまり、「こどもと教師の間に上下関係はそもそもないのだ」と。その認識の根底にあるのは、民主主義というよりも、むしろ絶対平等という至上命題のようなのですが…。僕は言いたい。平等結構。けれどそれは、世の中は本源的に平等ではないのだという事実を見据えた上で叫ばれた、「祈り」なのです。そして学ぶと言うことは、結局、「人間には何が出来て、何が出来ないのか」を知るという行為に他ならないのです、と。

かつて教師は聖職者と呼ばれました。この言葉の意味を、社会は今、考え直すべき時に来ているのではないかと思います。