読み方 ――僕の

スキップ (新潮文庫)

少なくともね、アザラシの生態観察の文章読んで、アザラシについての知識を増やすのは、現代文の授業じゃないわよね
そこにあるのは素材でしょう。素材を通して、何を伝えたいのか。読むのはそのためだもの。*1

例えば『スキップ』というお話では、17歳の主人公はある日突然42歳の自分になってしまう。ここで読者に求められているものは、言うまでもなく「どうしてそうなったのか」という立問ではあるけれど、それはあくまで「どういう意味のもとに」という角度からのそれであって、「どういう原理で」と問われているわけではないのである。もちろん後者に対し「記憶喪失で」とか「精神上のタイムスリップが」とか、理屈っぽい説明を加えることはできる。しかしその説明は結局のところ「偶然」と答えているのと全く同義であって、それ自体にはなんの意味もない。


例えば突然暴漢に刺された時、普通の人は「刃渡り15センチの包丁で左脇腹から斜め上に向けて一気に刺された」という説明を必要としているのではなく、「彼はどういう理由背景があって私を刺したのか」という説明をこそ必要とする(お医者さんなら別だ)。言い換えるなら「なぜ私は刺されなきゃいけなかったのか」であり「私が死んでいくことはどういう意味を持つのか」である。目に見える事象に対し、それを裏打ちする目に見えない事象の存在を私たちは直感しており、いつも探している。それは物理法則やなんやといった現実法則の外にあるのだが、時々これを忘れる人がいる。


物語のストーリーが隠し持つ「もの」に対する解釈の問題。文字にされ、現されている内容と、それが真に現したい内容とのズレ。物語の持つ、図鑑との間の根本的な相違と言っても良い。そこにある全ての目に見える現象には、目に見えない意味が付与されている。言い換えるなら、物語上の現象はそれぞれ全て「記号」であり、それらの配列による美しい模様――ストーリーラインと共に、もう一つその「意味」を拾っていくことが、読書の醍醐味である。図鑑にそんなものはない。著者のお腹が減っていたからと言ってマグロに10頁割くことは許されない。だからこそ目に見える情報の伝達には有効なのだが。


シンフォニック=レイン DVD通常版

Q: どうしてフォーニエンドの窓には、カーテンが掛けられているのでしょうか
A: ――深い意味はないと考えます。*2

少し話は逸れるかもしれない。これは『シンフォニック=レイン』の考察をしているときにつくづく痛感したことだけれど、大きな不幸、それそのものに対して意味を見出す、という視点が欠けている人が意外といる。彼らにとって不幸はまさに不幸なのである。だから、どうしても奇跡を要求する。理不尽な不幸は理不尽な奇跡によってぬぐい去られなければならない、そう堅く主張する。まあよかろう。所詮は作り話だ。ただ、だとして、さて実際に目を向けたとき、私たちが目にするのは、理不尽な不幸そのものではないか。そしてそこには、理不尽な奇跡のかけらなど、どこにも見あたらないではないか。


けれど物語が持つ、現されている内容と、それがその物語世界において持つ意味とのギャップ。その「お約束」――これはまさに絶対のお約束である。ああ、絶望的なことに、意味を持たせずに文を紡ぐことは、実に容易にできるのだ――において、目に見える不幸は、目に見えない幸せによって、その色を塗り替えられ得る。誰かが車にはねられたことも、誰かが突然青春を失ったことも、現実それ自体は誰にも動かせない。理不尽。けれどその意味の姿においてのみ、それらにはより大きな、とても暖かな必然が与えられ得るのだ。


その意味で「世界において、目に見える内容が、目に見えない内容を持ちうること」、それ自体がまさに奇跡なのである。そして優れた物語とは、この忘れがちな真実(あるいはそう願いたいもの)をいつも身近に感じるための、ありがたい贈りものに他ならない。だからこそ優れた作品、その著者は「霊感に満たされた」と称せられるのだし、逆に物語を記そうと試みる人は、是が非でも上記の「お約束」を厳守していかなければならない。なぜなら、世界に意味などないと言い切ることは、猿にタイプライターを叩かせるよりも、ある意味簡単なのだから。

*1:北村薫『スキップ』新潮文庫,1999, pp285-286。 真理子の自身に対するしょっぱい皮肉であり、北村氏の、若き読者達に向けた精一杯のメッセージである。同作冒頭「我々は、小人になったのか!」付近と合わせて読むと、著者の苦笑いが見えてきて楽しい。蛇足。が、お気の毒に、結局伝わらなかったので、『ターン』では後書きにおいて堂々と書いてしまった。「つまり、作中で起こる様々なことには、当然ながら、作者の意図があるのです」。

*2:SR Web Forum, 2005/03/24付け投稿「Re^17-18: SRのテーマ」より。