FATE

ついでにFATE/staynaightについて。

正義の味方の定義ってなんでしょうか? 恵まれない人を救う事ですか?それとも悪を倒す事ですか?

散々繰り返された話題ですけれど、前二章のアンチテーゼとして桜シナリオを用意したのであれば、奈須さんは責任を持って二者(セイバ+凛vs桜)を昇華しなくちゃいけなかったと思うのです。人間は人間である以上、完全な正義(でもなんでも良いですが、なんか理想)を得ることはできない、けれど人間である以上、それを心から求めて止まない。一体全体どうしたら良いんだ? なんて壮大な問いをわざわざ立てた以上、「んー、まあ、身近な幸せって大事だよね、不都合もあるけど、そこはまあ」みたいな結論ではどうにもならない。竜頭蛇尾も良いところ。

むしろそれなら、「じゃあ人間みなごろしにあった方が少なくとも悪を認識する人間意識は消滅するよねー」みたいな結末の方がすっきりする。実際、桜ルートって途中までその方向に進んでたわけでしょう。原理主義的に考えるならマキリ爺さんみたいなことになるし、桜のもたらすはずだった結末は理に適っていた。ただ最後まで残った彼女だけは不幸ですが、なんか意識が乗っ取られるとかそんな雰囲気だったから彼女の意識もじきに消えて問題ない。ただこれではあんまり報われない(というか元も子もない)から、思考停止させて無理やりハッピーエンドっぽくした。

こんなこといっていますが、僕は桜シナリオ好きですね。あれこそエロゲーのシナリオでしょう。十分にどろどろしてて、それでいて思索に刺激的。触手に近親相姦に寝取られに、なんてことしてるかと思えば、世界を救おうなんて言う考え方を違和感レベルから完全な破綻まで語って行く。実に良くできていると思います。ただし、主題に完全なアンチテーゼをぶつけただけでは、最初の状態と変わんないわけです。やっぱり、どうにもならんなあ、という全く一緒の感慨がでてくるだけで。時間の無駄そのもの。Aの考えにBの考えをぶつけて矛盾を生じさせたら、その先を語らないといけない。

そんなわけで、その矛盾を解決するものとしてあったはずだった(と、まだ奈須さんの誠実さと実力を信じている読者たちは願っている)のがいわゆるイリヤルートで、彼女はその本質である「聖杯」の能力を遺憾なく発揮して、文字通り「奇跡」を巻き起こしてくれるはずだったわけです。というのも、この問題は人の力ではどうにもならん問題ですから、これを解決することはまさに神の力を持ってするほかない。言い換えるなら「人間は存在して良いんだ」という証しであり、「全ての悪には意味がある」という証明。それは文字通り絶対的な救済です。なんて大変な騒ぎ。

結果から言えば、奈須さんはその答えを導くことができなかった。自らが提示した矛盾した二つの考えを止揚することができなかった。だから、イリヤという聖杯はその本当の力を最後まで発揮することはなかったし、あるはずだった彼女のルートはまぼろしと消えた。これは残念なことですが、仕方がないことだとも思います。簡単に答えが出せるものなら、今頃人間はもっと幸せな世界に生きているでしょう。ただ、ともかく答えは最後まで出なかった。そして、後味の悪さは最後まで残った。桜シナリオが責められるとしたら、この点に尽きます。

結局のところ、人間が人間を救おうなんて考え方がそもそも間違ってるわけですね。まず自分の尻を拭きなさい。どうせ死ぬまで拭き続けるはめになるんだから。一番救われないといけないのは、世界を救おうなんて強迫観念に取り付かれた、可哀想な士郎本人だったわけです。