FW190さんへのレス(拡張)

長すぎるので結論を先に。

何の話でしたっけ、そう、小説版『涼宮ハルヒの憂鬱』ですが、僕は第一巻なら誰が買っても間違いない作品だと思います。プロの著者の書いたラノベとしてとても良質のそれに仕上がっている。続刊については僕は面白いと思いましたが、現時点ではコメントを控えましょう。ひょっとすると、案外それらは全て、第一巻に挿入されるべきサプリメントなのかもしれません。何せあの世界においては、時系列は絶対ではありませんからね(それどころか)。


その意味では、小説一巻の結末とはまさにあの作品世界、ハルヒ時空、ぶっちゃけてしまえばハルヒシリーズそのもの終末なのだと考えても良いでしょう。だからこそその結末を越えた先、アニメにおける完全なエピローグ、小説には存在しないエピソード『Someday in the Rain』において、ハルヒはさっぱり普通の少女で、キョンと共に、スーパーナチュラルな出来事は起こらない、地味だけれどほのかに幸せな世界――これが何を指しているのかは容易に想像できますが――を生きていく存在として描かれているのだと思います。

とりあえず原作第一巻の話をしますが、アニメと原作はそっくり似ているけれど違うものなので(何が違うかは今後検証予定、たぶんepisode00及びsome day in the Rainが鍵)、アニメを見た上でも良質の小説として楽しめると思います。二巻以降に関してですが、僕はうっかりアニメ放映終了前に一巻を読んでしまいましたがそれはそれで楽しめましたから、(もし今後再び続編の放映があるとして)おそらく二巻以降もそうでしょう。どの巻のどの部分をピックアップしてどう組み立てるか、という脚本シミュレーションとしての楽しみもあると思います。


ただし個人的な感想をいうのであれば、小説『ハルヒ』は第一巻できっちり完結していて、続刊はそのあちらこちらに重要な伏線への回答が埋め込まれているとは言えども、じりじりと『マリみて・パラソルを差して』以降に近づきつつあるか、お節介ともいえるほどの丁寧なネタ晴らしを展開中か、さもなければ身も蓋もないラノベになりつつあるような気がしますから、アニメの続編はもしあるとしても劇場版、あるいはOVA程度に短くまとめて欲しいもの。


僕がアニメハルヒを評価する最大の理由は、それが目的というか、結末へ収束するためだけに緻密に(もし言い過ぎであれば、丁寧に)構築された脚本の優秀さです。もちろん技術力とか、声優の適切な配置とか、そういうものも大事ではありますが、極端な話、技術力だの声優だのはPVを作って公開すれば良いだけの話で、物語を語る以上副次的な要素でしか有り得ません。ですが、近頃のアニメはしばしばそこを勘違いして、それ自体何の意味もない話数をどんどん増やす。


なんの意味もない話なんて、考えるまでもないのですが、非常に詰まらないわけです。詰まらない話をいくら積み重ねてもやっぱり詰まらない。漢字の通り、詰まらないから終わりもしない。アニメにせよ他のおたくメディアにせよ、きちんと終わらせられない作品が山ほどあるということは、結局それらが詰まらない話だらけなのだという証拠なわけで。そんな中、久々に『ハルヒ』という作品は「詰める」ことを意識的に行った作品だった。僕はそれに驚喜しましたね。


アニメ版放映第一回の中で、キョンのナレーションは「どんな形であれ、決着はつけなければいけない」と語りますが、あれこそアニメ版ハルヒの本質なんです。決着は付けないといけないんですよ。少なくとも、物語を人に聞かせることを職業として行う人は。独り言なら好きに言っていればいい。けれど物語のふりをして衆目に晒す以上、彼には終わらせる責任がある。結末のない文章なんて、猿の叩いたタイプライターと本質は同じだからです。意味がない。


脱線しましたが、物語とは、その核となる「見えざるある意味」に向けて配列されたエピソードの集合なのだ、という事実を、じつに丁寧に描き出したのが、アニメハルヒです。小説版も同じようなことをやっていますが、アニメではエピソードの序列を変更することでより意味を際立たせている。その点で僕は京都アニメーションの脚本、あるいは構成担当者を尊敬します。彼らの技術よりも知識よりも何よりも、責任を持った物書きとしての能力、その態度を。


さらに脱線していくと、アニメ版放映第一回は上記の内容において、ひどく重大な示唆を投げかけているわけです。かの衝撃の(一般人を突き放すような、まるで嫌がらせの)第一回は、よく見てみると『ハルヒ』という作品の戯画であることは明白です。けれどそれは何か、本編と全く違う。実際満足しているのはハルヒだけで、キョンやみくるは呆れている。一体何が欠けているのか。その面も下敷きにして、これからアニメハルヒの本編を読んでいきたいと僕は考えています。


何の話でしたっけ、そう、小説版『涼宮ハルヒの憂鬱』ですが、僕は第一巻なら誰が買っても間違いない作品だと思います。プロの著者の書いたラノベとしてとても良質のそれに仕上がっている。続刊については僕は面白いと思いましたが、現時点ではコメントを控えましょう。ひょっとすると、案外それらは全て、第一巻に挿入されるべきサプリメントなのかもしれません。何せあの世界においては、時系列は絶対ではありませんからね(それどころか)。


その意味では、小説一巻の結末とはまさにあの作品世界、ハルヒ時空、ぶっちゃけてしまえばハルヒシリーズそのもの終末なのだと考えても良いでしょう。だからこそその結末を越えた先、アニメにおける完全なエピローグ、小説には存在しないエピソード『Someday in the Rain』において、ハルヒはさっぱり普通の少女で、キョンと共に、スーパーナチュラルな出来事は起こらない、地味だけれどほのかに幸せな世界――これが何を指しているのかは容易に想像できますが――を生きていく存在として描かれているのだと思います。