さくらむすび 後日

さくらむすびには良くも悪くもいろいろと考えさせられるものがありましたが、現在のところ、ライター氏が作中で提示してくれた情報だけではどうにもこの物語に収拾のつけようがありません。この際見えるものだけを素直に受け止めるとするなら、紅葉のストーリー、というよりそのディテールは実に素晴らしくほのぼのとした素敵な何かだったと思います。実際あの散髪のシーンは本当においおい君たちそれでいいのか、いいんだよな、だって僕たちほら日本人だし、というまさにそんな感じでつい納得してしまいそうになり、我々がいかに普段愛と見つめ合うことのない人種であるかということを明確に示唆、などといらない話はさておき、あのシーンだけで本当にもう幸せいっぱいお腹いっぱいなのでした。幸せだし、ま、いっかあ、という思考停止。日本が宗教戦争を起こさない根元的理由であります。


さて一方、妄想を炸裂させるというか、仮定を並べて物語をいじくって遊ぶ方向からこの紅葉の物語とそれに満足する自分を観察するなら、あの幸せな物語がいかに簡単に困ったものになるか、という点が興味深いのではないかと思います。具体的に言えば、あの主人公たちの出自にはまだまだ隠された秘密=少なくとも読者の知らない設定が少なからずあるであろう、あるいはあってもおかしくないということは、おそらくそれなりの数の人々が持つ共通認識でしょう。そうすると、主人公と紅葉の関係を”本当はややこしい関係だった”と仮定してしまうことは意外と容易です。さあ大変。これまでの完全なハッピー世界はその瞬間ぐらついてしまうでしょう。あまり素敵な想像でないので、その仮定はあっさり引っ込めるとしても、「そうも仮定できる」事実は変わらない。


さて、ではそう仮定した場合、なぜ私たちはそこにそのような困惑を抱いたのか、という点が、ある意味で本作のミソなわけです。ここに説明を与えることは有史以来様々な人々が様々なアプローチで試みてはいますが、今のところ少なくとも十分に納得性の高い説明は見あたらない。そのくせこの困惑はかなり汎人類的で強力無比なもので、少なくとも個人がこれに立ち向かうことはほぼ不可能でしょう。ひたすら逃げるか、開き直った結果コミュニティから追放されるか――そんなお話もありましたが――どちらにせよそれまでの世界からの排除が宿命付けられてしまいます。そう、なんだかどうにもうまく説明できないけれど、それは間違いなく存在して、不気味に強力な影響を及ぼす。ついでに言うと説明できないから解決の手だても思いつかない。いやあ化け物だ、うん、化け物は確かに存在する。


ともあれ、かつて、ある夢のように美しい夜、桜の下で微笑む一人の女性から、二人は手に手を取って逃げ出しました。手を引いたのはおそらく紅葉、その理由は単純、「好きだから」です。「好きだから」以上に説明はいらない。だけれどそれは間違いなく絶対で、強力で――あれま、どこかで聞いたような話ではないですか。桜と主人公の前にあの結末を出現させたそもそもの原因。私たちが本当に直面している化け物。それはむしろ、例えば紅葉と主人公の間にこそ存在している何かなのかもしれません。だからあの夢のように明るく美しい夜、それは主人公と桜が行き着いた夜である以上に、紅葉と主人公、二人をこそ包む、目もくらむほど眩しい夜なのではないでしょうか。


などとわかったようなわからないようなことを言いつつエンドロール。