日本人の神はどこにいるか

日本人の神はどこにいるか (ちくま新書)
無宗教だと公言する人でさえ、クリスマスには楽しくなるだろうし、困った時には祈るだろう。もし祈ることが人類に共通の行動であるとすれば、その行為が外部の超越的対象を必要とする以上、人類は共通して何かしら外部の超越的存在を感じていることになる。少なくともキリスト教とユダヤ教とイスラム教の神が共通していることはよく知られているが、果たして日本人の神とは何なのだろう。著者はそれを、「おそらくキリスト教やユダヤ教の神と同じものだ」と語る。日本人は多神教徒だと言われるが、殆どの日本人は、参詣する寺社の祭神・宗派等を全く気にしない。我々は寺だろうが神社だろうが教会だろうが構わず有り難みを感じ、仏像や十字架、酷いと石ころにまで手を合わす。結局のところ我々は(無意識の内に)それら目に見えるあらゆる事象の向こう側に存在する”何か”に向かって手を合わせているのであり、つまりそれこそが日本人にとっての”神”に他ならない。そして、このように日本人の”神”は根本的には一つであるが、複数の顔を持って我々の前に現れる。そのことは例えばキリスト教の三位一体概念と何ら変わるところはないのではないか。少なくとも絶対に違うと言い張る合理的根拠は見つからないだろう…。

などとということを著者はつらつら書いたのち、我々は”神”を優しい慈悲の概念として捉え直すべきだ、そう言った神なら戦争を正当化することはないだろうし、どちらにしても役に立たないなら、あわれみを垂れてくれる方が精神衛生上良い。等々と馬鹿にしたようにも読める意見を述べて本書を締めくくる。いや、けなしているのではない、納得できる点は多いし、ざっくり読めて楽しい本ではある。ただし――何かが変なような気がする。何かが。根本的に。


(4/50)