天蓋の話 〜抹茶さんへのご返事

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天蓋のシーン、あの広場に一滴落ちる雫は、私の解釈にとって、この物語で最も重要な要素です。逆に言うと、そのシーンがなければ、私が導き出したすべての結論は、「他の解釈と同じか、それ以下の可能性しか持たない解釈」でしかありません。つまり「天蓋からの雨」は、私の推論にとっての、最も重要な前提条件です。ゆえに、私は、そのシーンの説明をしなければならないでしょう。

以下、ネタバレです。





抹茶さんの投稿より
>んー、この場で言えることは、トルタの嘘(というかフィクション)が
>破綻するものと作中で定義されている以上、雨の一つや二つ、
>降ったっておかしくないんじゃ、ってくらいです。



■私の前提
シンフォニック=レインには、二つの「目に見える偽り」があった
・一つは「piovaメーター」、もう一つは「クリスだけに見える雨」
・空が晴れていても、クリスでなくても、piovaメーター自体は存在している
・つまり「雨」が表すものは、は「piovaメーターの表す偽り」とは「別の偽り」である
・その「雨」は、「トルタの嘘」が始まる前に降り出した
・その「雨」は、クリスの世界を常に覆い尽くしている
・そしてそれは「機能のためだけそこに作られたとは到底思えない、とても美しい、天蓋」によって隠されていた


「雨」の意味するものと、「トルタの偽り」が意味するものがイコールではないとすると、あそこで雨が降り込んでくるのは、クリスの発言とそれを取りまく文脈の中に――――あの天蓋広場でのトルタ、そしてマルコとの会話を思い出してください。「・・・他人にどう映るかなんて、今までほとんど気にしたこともなかった。でも少なくとも、彼の目には、僕達が恋人同士に見えたに違いない。(中略) どうにも僕は、それがアルへの裏切りのように感じられて、気分が悪くなった」。クリスがそう独白した、まさにその直後、「雨」が一滴降ってきます。「一滴」です。これはもう、読書的には、完全に、ここには意味が――――何かとてつもなく重大な、それも「ただ一つの」隠された意味があると「読むしかない」。と、私は思います。

だからその後、演奏会の最中、トルタを見つめ続けるクリスの独白、「トルタは僕にとって、なんなんだろう…と。昼に、おじさんは恋人のようだと言った。でも実際は、僕たちはただの幼なじみで、同じ学院に通う親友だった。でも、それだけではない。そう割り切ってしまえるほど、浅い関係でもないような気がする。それを言葉にしてしまうのは嫌だったから、僕はただ、それを疑問に思い、答えに気づかない振りをした。」と続き、あっさり投げ出された彼の疑問。これは、そのままに読んではいけないはずなのです。まとめましょう。「トルタは僕にとってなんなんだろう(中略)答えに気づかない振りをした」。彼は「気づかなかった」のではない。「気づかない振りをした」のです。「クリスの中」で「その答え」は既にでていたのです。そして…「他人にどう映るか」つまり「客観的に見」たとしても、トルタとクリスは「恋人同士」なのです。
(自分の中で正しく、そして他人から見ても、そうだとしたら、それは真実以外のなにものでもないはず)

しかし彼は、それに気づかない振りをした。むしろ、それを否定した。だから、そこには「雨」が降ってきた。否定は偽りだった。その偽り=「雨」は、これまでずっと天蓋で隠され続けていた。その天蓋は、唯一クリスが「トルタは僕にとってなんなのだろう」と考えた時にだけ、「雨」を漏らした。逆に言うと、その疑問に対してのみしか、天蓋はそれが隠している「偽り」を現さないのです。天蓋とは、当たり前にそこにあるようですが、しかし間違いなく「誰かによってつくられたもの」。そしてそれは「ただ機能のためだけそこにあるとは思えないほど、美しい」。それは「偽り」を隠すためだけ、そこにあるとは思えないほど、美しい、そして哀しい、誰かの想いなのです。天蓋とは、「クリスはアルのことが絶対的に好きだ」という根本的な偽りでした。

しかし、それだけではありえない。なぜなら、それがクリスのココロの中の偽りならば、それはpiovaメーターを増減させるだけで、「雨」にはならない。それは、クリスのココロの外、クリス以外の誰かのココロの中の偽りです。それは[「クリスに絶対的にアルが好き」で居させること]自体が、誰かの願いであると同時に、その誰かのココロの中の、偽りであることを意味します。そう、天蓋は、「クリスが幸せになれるなら、私は不幸せでも良い」と自らの心を偽ったフォーニの、フォーニの中のアルの、悲しい偽りの涙の侵入を防ぐ、偽りであったのです。断言しましょう。この「雨」はフォーニの中に、僅かに残ったアルの流す涙だった。だからそれは、たった一滴しか降らなかった。


■結論:
『天蓋』とは、フォーニによって作られた、「クリスはアルを好き」という『偽り』であると同時に、[「クリスがアルを好き」という偽りを維持し続ける自分]に対する、フォーニ(のなかのアル)のココロの涙を隠す『偽り』であり、そしてこの世界に降り続ける『雨』とは、クリスのココロの雨ではなく、「フォーニのココロに降り続ける偽りの涙、雨」だった。そしてその涙が、「クリスがトルタを選ばず、いつまでもアルを好きでい続ける」という『偽り』に対して流されている以上、「クリスがトルタを選ぶ」という願いこそ、アルが最後まで言えなかった本当の想いであり、それをいつまでも告げられないことこそ、アルがここで一滴の涙を落とした意味である。


――無関係なことをあえて付け加えるなら、しかし私たちは、その天蓋そのものが、「偽り」であったことを既に知っているはずです。クリスはそんな偽りなんてなくても、間違いなくアルのことが好きでした。そしてフォーニが、「クリスの幸せのためなら、不幸せになってもよい」なんてこともまた、あり得なかったことも。




追記:
ただ、そうすると、やはりいくつか不審な点が残ります。
・1/19の時点でアルは死んでいるのに、なぜ、1/20も雨が降っていたのか。
・クリスが初めて「雨」と呟いたとき、本当にトルタの『嘘』は始まっていなかったのか
 (彼女はまだ無自覚でしょうが、確かにクリスに、真実は告げていません)
・ファルエンドで、一度止んだ雨が、なぜまた降り出したのか
…答えはおそらく、トルタもまた、アルだったからではないでしょうか。そうすると、アルの流した涙、彼女らの『偽り』は、トルタの『偽り』でもある。だからこそ真トルタエンドで、アルが死んだ後も、雨は少し降り続いていた。ただ、ここはまだ、考えがまとまっていません。雨があがったのは列車の中、トンネルを抜けた直後です。そこのシーンになにか、答えが隠されていると思うのですが・・・

追記2:
真・トルタエンド。列車の中。やはり、トンネルを抜ける直前に、トルタは全てをあかしている。とすれば雨は少なくともトルタの偽りを表していることになる。