クリスの真相

クリスは雨を見ていた。クリスはpiova計を持っていた。雨は偽りの証だった。雨はずっと降っていた。piova計はココロの嘘のメーターだった。トルタもpiovaメーターを持っていた。おそらく皆、ココロにpiova計を持っている。しかしトルタには雨は見えなかった。他の誰にも、雨は見えなかった。雨は、piova計と同義ではない。ではこの雨、クリスだけが見えた偽りとは、何か。

それはもちろん、フォーニの、アルのココロの雨。「クリスさえよければ、私は――そして他の全ては――どうだっていい」という哀しすぎる偽り、彼女らのココロの涙。クリスだけが最初から最後まで、ずっとそれを見続けていた。

…クリスは最初からすべて知っていたのかもしれない。彼がアル(=フォーニ)に向かい、「君のために作った歌」と明言する歌、『fay』では、こう歌われる。「すべてを許そう、好きなことをして。見つけて今は、あなたのありのまま。」しかし彼は同時に、その歌の持つ危うさに気づいていた。だから彼は、「この歌は歌わない方が良いと思う」とトルタに告げていた。それでも、もしもフォーニがそれを望むのであれば、彼は『fay』を奏でることを厭わない。おそらく無意識で、彼は最初から、全てを許すつもりだった。そうだとすれば、フォーニエンドでもっとも幸せなのは、実はクリスなどではなく、フォーニなのではないか。
ああ、もう、わからない。何が本当で、何が嘘なのか。