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「山へ出かけるデヘデヘ」とマテオが言った。なんかよくわからないが昨日も行った気がするしどうせまた怪しいたばこを吸うんだろうと思ってついて行く。1時間ほど峠を走って着いたところは山である。すれ違う車も追い越す車もやたらスピードを出したドイツ車ばかりのところを見ると避暑地らしい。
駐車場に車を停めてここから歩くという彼におとなしく従う。15分ほど牧場の道をたどると山小屋風の建物が建っていて、ここに僕の祖父母の一家が今秘書に来てるんだと彼は説明した。それならそれでそう説明してくれたら薄汚い半ズボンにアイロンのかかってないポロシャツで出向くようなマネをしなかったのにと抗議する。「それは油断」と嬉しそうにマテオはデヘデヘぬかした。
三階建ての山小屋はどうやら分譲の別荘らしく、一階は物置と駐車場、二階はリビングとキッチンほか、三階は寝室である。建物の外の階段を登って二階の居間にはいるとマテオの祖父母とその姉妹が迎えてくれた。当然ながら前もって僕らの訪問は予定されていたらしく、さあお昼ご飯を食べましょうという雰囲気。知らなかったのは僕だけである。
お祖母さんはよく話す明るい人で、反対にお祖父さんはニコニコと頷きながら彼女の話を聞くポジション。姉妹は食事の用意に忙しく、マテオはニコニコというよりもニヤニヤしながら67年もののネッビオーロを舐めている。自然僕がお祖母さんの質問の矢面に立ってなぜここにいるのか(遊んでます)、マテオとの関係はどうなのか(ホモじゃないです)、日本では何しているのか(聞かないでェ)等々について語るはめになる。
お客の扱いを心得たお祖母さんの会話テクニックに感心するも、丁寧形での会話というものの機会があまりない僕は緊張し、というか自分の3倍ほども歳の離れた老婦人に「Lei(三人称単数女性形、あるいは尊敬の主語)」と話しかけられるとどうにもこそばゆくてならず、何よりも白状すると僕は山に寝転がってあやしいたばこを吸う気分で来たのであった。ごめんなさい。
いよいよニヤニヤするマテオを後でどうつついてやろうと思い始めていたところへ食事の用意が調う。お祖母さんはさっと立ってサービスを始める。僕はテーブルについてお祖父さんとニコニコにらめっこである。67年を舐めているマテオからボトルを奪って僕も飲む。いくら何でも50年は寝かしすぎらしく樽の匂いが強いものの意外と美味しい。
ご飯は美味しかった。ポー川流域よりも北部に行くと、どうにもドイツ風というか山小屋風というか、平野部の超絶チーズメニューに反発するがごとき炭焼き風素朴料理が出てくるイメージがあったのだけれど、さすがは山でもピエモンテ、華やかなりし王朝時代の歴史を感じさせるフランス風小品が並ぶ。
並ぶ。並びすぎで食べきれない。お宅訪問のお昼ご飯で前菜だけで三回も出てくるなんて普通思わない。残すのはこちらでは無礼ではないかも知れないけれど、日本人として道徳的によろしくないとせっせといただいた結果、「彼はたくさん食べる子」ということになってしまったらしく「もっとお上がり」とお皿を空ける役が回ってきてしまう。
具を詰めたプチトマトを30個くらい食べ、僕の皿の脇に爪楊枝の小山ができたあたりでやっとメインらしき可愛い七面鳥のローストが出てきたのでほっとした。のもつかの間、まさかその後にまだ牛が出てくるとは。ママもう入らないよ!という気分でもうやけくそである。こっそりと短パンのボタンを外す。
日本人がヨーロッパのフルコースを食べる場合、実は最も恐ろしい敵がこの「いくつお皿が出てくるかわからない」というものではないかと思う。日本料理の場合、一部の飲み屋さんなんかを除いて基本的に一の膳、せいぜい二の膳くらいだから基本的には目の前にある料理をどう食べるかの配分だけで済む。しかし一品ずつ出てこられてはいつメニューが終わるかわからない。まだまだ続くと思ってちょっとずつ食べてたらしゅっと終わってしまう場合もあるのだ。皿ごとにどれだけ食べたら良いのか、計画が立てにくい。食べつけている人にはわかるのかも知れないけれど僕には無理。
結局、デザートはバナナのタルトと酪乳のジェラート、最後に木イチゴのシロップ漬けが出てきて終了、コーヒーをいただいて一息ついたところへグラッパがずらずらと並んでさあ飲めという気配。もう無理ですと機能超過に悲鳴を上げる消化システムをむち打ってデミタスでいただく。美味しいのでまた飲む。フラフラになる。

様子を見計らっていたマテオがまだニヤニヤしながら「じゃあ山に登ろう」と言う。山?指さす方を見てみると1キロほど向こうの尾根の端になにやら建っていて、話を聞くと鷲の像なのらしい。ここへ僕は行かねばならないらしい。「腹ごなしになるから」とマテオはニヤニヤ言って僕を連れ出す。みんなニコニコ手を振ってくれる。
やけになって走ったから頂上へは意外と早く辿り着いた。谷間に別荘群を見下ろす鷲の頂には爽やかな夏の風が吹き抜け、視線をあげれば彼方遠くスイスやアルプスの峰を望む。足下にはヤギの糞が散らばり、ハエが舞い、羽アリの群れが奥さん捜しの旅への出立を急いでいる。マテオは懐から怪しい箱を取り出し、その中から怪しいたばこを大事そうに持ち出して(風が強いのを予見して前もって作ってきたらしい)吸い始める。じきにぐたっと石碑の上に寝そべる。僕もマネする。太陽が高い。
当然ながら降りるのは登るのより早かった。祖父母宅でいとまごいをし、おみやげに山の地名の焼きごての当たった木の首飾りを貰う。でもまだあの名前が覚えられない。なんだっけ。マテオの車に乗り込み帰途につく。
行きつけのワインバーに連れて行って貰う。いろいろお世話になったお礼にとアマローネのボトルを注文する。97年、バルポリチェッラの何とかというやつ。美味しい美味しいと楽しく飲むも蚊が一杯来て非常にかゆい。こんなことと知っていたら半ズボンで来たりしなかったのにと愚痴るとマテオは勝ち誇ったように「それは油断」とまた言った。
いい加減酔っぱらったマテオが、日本の知人へのおみやげにと僕が注文したグラッパの栓をおもむろにひねったおかげで中身がしみ出して来てしまい、これは零れると危ないしもったいないと二人で飲む。しかし全部飲めるわけもなく、おまえのせいだ酔っぱらいめと弾劾する僕に「ビニール袋に詰めて持って帰ればいい」と彼は簡単に言う。酔っぱらっている僕はそれもそうかと素直に思い直して、そうすることにした。こうしてグラッパは僕向けのおみやげになった。