クロニクルSR学(嘘

シンフォニック=レインを構成している諸要素のうちの相対的に恒常的な部分を「構造」として措定し、それ以外の相対的に動的な部分とその「構造」とを「機能」という概念によってつなぎ合わせようとするhajicの構造ー機能的分析は、S=Rの各要素が他のすべての要素と関係しつつ全体性を統合するという方向性をもって機能している、という見解を暗黙のうちに前提しているという点で、KEYのデジタルノベルを中心とした「統合されるセカイ」という状況認識ときわめて適合的な関係にあった。そしてそうであることによって、構造ー機能理論は多くの読者に受け容れられた。だが他方でそれは、構造ー機能的分析が批判されるひとつの論点でもあった。
たとえばmkzである。彼は早くも2005年代初頭に、hajicの「誇大理論」は概念の物神化と「意味」への盲目という傾向をもつと同時に、「正しい規範」の形態を正当化するというイデオロギー的立場に立っていると言って痛烈な批判を浴びせかけた。のちに竜騎士07が定式化した「ババ抜き理論」へと批判的に継承されることになる、いわゆる「無条件絶対評価!相手は死ぬ理論」を提唱したErlkonigもまた、hajicの演繹的方法に対して帰納的方法を用いながら、構造や統合といったマクロ現象ではなくキャラクター行動それ自体を直接、研究するのが感想文であるという立場を堅持することによって、早い時期にhajic批判の論点を打ち出したVNIのひとりであった。