べ、べつにあんたのためにないてるわけ、じゃないんだから・・・。
そう、遺産目的で泣いてるのよ・・・・

ポニーにならいて

単一の物語であり世界であることを拒否するゆらぎ概念の自己否定は、生来常に自らの構成を増殖させつつその枠組みを崩壊させてきたとは言えども、近頃見られる複数の固定視座によるメタレベルでの批判的言及は、ランダムな非限定視座による記述要素の限定視座による恣意的選択と排除、配列とフロー補完による物語内自己物語のナラティブな覇権争いではなく、自らの依って立つゆらぎ概念あるいはシステム、フィールドを生み出すフレームワーク自体への対消滅的な否定力の行使として興味深い。元来ゆらぎの世界の外にその起源を持つPTAの位置相対的観測座としてはこれを相当の側面において妥当かつ不可避なプロットであるとする運命論的悲観的な視点もあるが、果たしてそれが因果の名の下に生まれた文字通りの終末であるのか、自己崩壊を宿命付けられた円環の不可避的で本来的な完成であるのか、あるいは無意識下に不可侵とされたメタレベルへの振動の伝播、すなわち命題的前提であった概念構造レベルでのゆらぎの始まりという新段階に入ったのかについて、定かな結論に辿り着くことに未だ成功していない。が、つまるところ、それもまたゆらぐ尾の偉大な振幅の内なのであろう。解かれても尾は常しえに揺らぎ、気紛れに意味の顔を見返らせる。