有馬冴子はもういない

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僕の『ROOM NO.1301』シリーズのあらすじは、重要な要素を欠いている。それは奇妙なプロローグの存在で、そこでは数年後の時間、少なくとも作品本編の出来事が終わった後の物語が展開されるのだけれど、端的に言ってそれは、「有馬冴子はもういない」という事実を繰り返し語るのみなのだ。

いくつかの不思議な点――プロローグなのに数年後であるとか、相変わらず主人公はボケボケのままだとか――は、すべて有馬冴子がどれだけ重要な存在であったのかという強調と対比され、あらためて本編の不思議を際立たせる。この意味で、それはプロローグでありながら、同時に本編とは別の物語の序章なのかもしれない。

「有馬冴子はもういない」。物語は続いているにもかかわらず、ある意味では最初から終わっている。世界の冒頭に配置された奇妙な一節が密かに導くものは、語られたあらゆる言葉の行間であり、語られなかったあらゆる横顔への視線であり、おそらく、読者に委ねられた物語なのである。

すべて文字通りに受けとることもできる。それはそれで楽しいし、書かれたものがすべてであることもまた確かだ。ただし、それに満足するかどうか、さもなければどんな風に満足の点を探すかというアルタナティブもまた、優れた作品が読者たちに示しうる方向の一つだと僕は信じる。

僕がこのシリーズを好きな理由、その答えはたぶんここにある。それは意識的に、読者に問いかける。あなたはどのような意味を、「そこ」に与えるのか。そして本当のところ、「そこ」とはいったいどこなのか。言うまでもなく僕は、こういうアプローチがとても好きだ。

僕はあらすじ主義者なので、物語を勝手に切り貼りし、世界を再構成する悪い癖がある。そんな僕に言わせれば、『ROOM NO.1301』の本質はプロローグである。もっと端的に言うならば、「有馬冴子はもういない」。少なくとも僕はそこに本作の軸を見出し、そこへ向けて、すべての要素を配列する。そしてそれは、わりと楽しい。


お薦めのシリーズです。