KANON:歴史的文脈

さてさて。KANON2006の行方である。名雪が祐一を諦めてあゆが無事に引っ付いたらそれでいいのか、という話である。本来祐一はあゆが好きだった、名雪は横恋慕だ、だからこれでいいのだ、世の中そんなもんだ、という説明は分かる。分かるがしかしそれで本当にいいのか。僕は納得できない。

「祐一は実にあゆのことが誰よりも好きなのか」という疑問の検証が無視されている。おそらくあゆは祐一を愛しているだろう。名雪もしかり。けれど彼は?彼は誰かのことを本当に好きになったことがあるのだろうか?この点に関し、名雪はかなり辛辣である。「祐一のは、そういうんじゃないんだよ」。

最も可哀想だから拾い上げるんだという無意識と選択が、主人公の取りうる選択肢のうちで最も傲慢で最も無様で最も無責任で最も醜い姿勢であることについて、デジタルノベルの歴史はすでにその記念碑的傑作、『君が望む永遠』において証明を済ませた。

つまり、そこでは3年遅れてあゆが登場し、祐一は名雪を振ろうとするのである。