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真面目な話、現在の著作権騒動の主因となっているコンピュータ&ネットによる情報発信&伝播の衝撃的難易度低下は、どうでもいい下らない作品(とその作り手)を淘汰していく意味では文句なしに素晴らしい流れではないかと思います。パクリとオマージュの差など実際見て(読んで、聞いて)みれば一目瞭然。どれ程新しい作品がお手軽に生産されようとも、ネットという一種共通のデータベース上で管理されることで、世に溢れたゴミはたやすく排除されて行くでしょう。結局のところ人の世の中にいわゆる本当の名作の類(有り体に言い換えるなら、人がわざわざお金を払ってまで手に取ろうとまで思うもの)はそうそう出るものではなく(人類数千年の歴史の中で生み出されたであろう数多の著作のうち、一体どれほどが現在に残っているか)、そんなもので商売をしようというのに無理があるのだと言うのが本心です。ことに、ネットがここまで行き渡った時代においては情報を発信するための費用は極端に低下していて、実際たくさんの人々が無償で作品を公開しているし、実際物理的に印刷するにしてもそれほどのことではない。じゃあ何にお金がかかるかと言えば結局肥大しすぎた旧メディア主催者自身の維持費用に他ならず(アニメ制作費用のうち8割が広告業者に流れるのは今や有名な話)、そんなこんなでむやみに高騰した(しかも中身の全くない場合がほとんどの)作品をわざわざカネを払って見てくれいうのは何というかもう視聴者への背信に近いでしょう。むしろこんな酷いものを見てくれてありがとうとでも言うべきであり。結局のところアニメにせよ著作によせ音楽にせよ、そういったものはいわゆる芸術に属するものであって、やはりパトロンというか、協賛者による庇護の元に展開されるべきというか、そうされざるを得ないのではないかと思います。さもなければあからさまな商業体制の上で、それ自体がそれ自体を広告する広告に成り果てるほかはないでしょう(つまり現在の夕刻アニメの大勢の様に)。まあ、大手産業界及び著作権下に保護された大量生産とその大量消費こそが、数打てば当たる式に名作をはじき出すのだ、という主張も分からなくはありませんが…何かそれは根本的に間違っているような気がしてなりません。