3/17 長崎の信徒発見記念日


1865年3月17日長崎、落成直後の大浦天主堂において、1612年徳川禁教令以来実に250年以上に渡る迫害の時代を生き延びた隠れキリシタンの末裔、フランス人司祭プチジャン神父*1に面会。フランシスコ・ザビエルの布教以来、遠くヨーロッパまでも伝わった日本での苛烈な迫害と殉教の歴史*2の果て、聖人に叙された26人*3を祈念する天主堂の中、祭壇で祈る神父のもとを訪れた女性信者達の第一声は「マリア様のご像はどちらですか」であったと言う*4当時のローマ教皇ピオ9世をして奇跡と言わしめたこの事件の後も、1873年まで日本の禁教が解除されることはなかったが、ほぼ絶望視されていたザビエルの残り火の発見*5は、ローマ教会に大きな喜びを与えた。現在ではカトリック教会歴の任意祝日とされている*6

*1:”神父”なのでカトリック。ザビエルの伝記を読んで日本に行きたーいと思っていたカトリック司祭は案外多い。

*2:迫害による殉教者は累計数十万人。世界的に見ても結構な数で、よくもこんなに頑張ったものだと感心する。

*3:聖人はいわば西洋の仏さま。プロテスタントにはないカトリックの泥臭い仕組みで、どう考えても胡散臭いが私は好きだ。なお後述のマリアもプロテスタントでは重要視しない。故に通常聖堂にも安置しない。

*4:数百年前ザビエルが日本を聖母マリアに献げていたことを思うと、不思議な縁である。勝手に献げるな、という憤慨をする人もいるらしいが。ついでに言うと12/8の開戦記念日はマリアが母アンナの腹に宿った記念日(無原罪の聖マリアの祝日)、8/15終戦記念日はマリアの死んだ日(被昇天の祝日)。

*5:驚いたことに、ザビエルはローマ・カトリック文化圏ではトップクラスに分類される英雄(聖人)である。

*6:けれど肝心の日本の知名度はさっぱり。日本とカトリックはほとほと縁がないのか、果たしてこれも大いなる摂理のうちなのか。受難は続く。聖母マリアのまたの名はドロレス、哀しみと涙。