萌えインチキ談義

そら恐ろしいくらいに上手くできちゃった創造物(Tera Airasis)に対する日本文化固有の畏敬の念が、同固有思考秩序「ありがたい」「勿体ない」を通過する過程で、対象に自身自律存在すべきものとしての命を与えるが、これはあくまで対象をある存在、言うならば萌えの源泉に組み込むことで対象をその限定的な表出として機能させているのであって、それ自体真に自律存在しうるものではない。
つまり各キャラクターとしての萌えはそれ自体萌えであるように見えて、その実けして観測できない『萌え』自体にアクセスするための儚い形代であり手段にすぎないが、この手段(萌えキャラ)の持つ手段に過ぎない儚さこそ日本人が散る桜に感じる絶対的な美しさを孕むものであり、そこにもし何らかの崇拝があるのだとすればそれはまさにこの自然に対する憧れであって、つまるところ日本的自然に対する愛なのである。