隣の家の少女

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

ああ、私にはまだ、この物語を見つめる勇気がない。


スティーブン・キングが絶賛した理由がよくわかる。それは、これが絶対に、スティーブン・キングには書けない物語であるからだ。だからキングはケッチャムを憎んでいるに違いない。そう、彼がどうしても書けない、「超自然の出来事」抜きの世界を、”彼らのヒーロー”は、かくもすらすらと描いてしまった。キングがいつも彼の物語に登場させるモンスターたちは、それが恐ろしく理不尽である故に、逆説的に現実=我々の世界(それはキングの世界でもある)に希望を残す。だが本作で、ケッチャムが私たちに与える物語は、全くのところ、そうではない。超自然の出来事抜きの世界とは、そのまま現実に他ならないのである。にもかかわらずケッチャムは、その世界でキングと同種の物語を、キング以上にリアルに展開した! この物語を読んだあとでも、私たちは平気で眠りに就くことができる。窓の外で冷たい雨に濡れる誰かの存在を知りながら、誰にでも平等に訪れる、ある終わりを願って、カーテンをそろそろと閉じることができる。それが世界で最もむごたらしい救い(その言葉が適切であるとしたら)であり、それがこの世界の「美と善の否定」の肯定なのだと知っていても。つまるところ、ケッチャムの世界、超自然抜きのホラーとは、神のいないこの世界そのものなのだ。そしてどうやら私たちは、それでも平気で生きていけるし――平気で生きていくしかないらしい。

(12/50)