シンフォニック=レイン

シンフォニック=レイン DVD通常版

then-dさんへのレス (http://d.hatena.ne.jp/hajic/20050527#c

こんにちは、はじめまして。hajicなのかCなのかはじcなのか自分でもよくわかっていません。考察をお読み頂き、ありがとうございます。『シンフォニック=レイン』という作品には、言葉に出来ない何かがありました。どうやら私はそれに”吹き込まれ”て、色々話してまわったようです。周囲からは”布教”活動と呼ばれましたが。というか、あれは宗教ですよ。間違いない。つまり「キリストの復活は嘘です」という主張をする、宗教。


これはよく考えてみると、本当にとんでもない作品です。本当に、とんでもない。それによると、キリスト教とは、きわめて壮大で緻密な、しかし嘘の体系と言うことになる。いや、そんなの当たり前です。よく考えてみたら、死んだ人が復活するわけがない。もちろん、私たち非キリスト教徒は、キリストが復活したなんて胡散臭いと思っています。そもそも信じてなんていない。けれど、私たちは彼らの信じていることを、鼻で笑うことはできない。

だって私たちは実際に、どこかで一度、誰かの復活、それを信じてしまった。そうでしょう? 私たちは緻密な嘘が(もっともらしく)語る言葉を、本当に信じてしまい得るし、その言葉を信じている限り、それを疑おうともしない。「2000年以上信じられている事実」が、実は完全な嘘なのに、多くの人に本当だとして信じられていたとしても、私たちは絶対にそれを笑えない。ほぼ完璧に本当のように見える嘘ならば、それはほぼ永遠に、本当だと信じられるでしょう。

つまり、シンフォニック=レインの嘘と、聖書の嘘(もし、それが本当に嘘だとするなら)の違い。それは単に、聖書のそれよりも、シンフォニック=レインのそれの、精度が落ちていただけです(そして本当に恐ろしいことに、これはある意味、逆なのです…)。だから、それが嘘か本当かということ、それ自体には、全くと言っていいほど意味はない。どんな荒唐無稽な事実だって、信じている限りにおいて真実なんですから。そうでしょう!?――私たちは、「死んだ人が復活するわけがない」、そう確信しているのにもかかわらず、ある嘘を信じた。

だから、「その事実が真実となった」という事実、それがどんな意味を持っているのか。つまり、どうしてそれらの真っ赤な嘘は、信じられないといけなかったのか――嘘を事実にしてしまった、その状況自体が持つ意味、それこそ本当に問われるべき(あるいは私たちには、それしか問えない)問題です。私たちはなぜ、シンフォニック=レインの嘘を信じたのでしょう。キリスト教徒はなぜ、キリストの嘘を信じたのでしょう。そこには理由が、絶対に、意味があるはずです。嘘には、確かな意味がある。そして、その確かな意味こそ、私たちの知りうる『真実』に他ならない。

世界のほとんどが嘘であるということ。それはまさしく、この世界のほとんどが、確かな意味を持つことを意味します。そう、それがどんなに目に見える嘘だらけだとしても、この世界には間違いなく、目に見えない、しかし信じるべき意味がある。そしてその事実こそ、この世界の『奇跡』であり、その奇跡こそが、『神』の存在を証明しているのではないかと、私は思います。そんなわけで、私にとってシンフォニック=レインという作品は、間違いなく、この上ない福音の物語なのでした。