気付いたときは、いつも手遅れ

ヒルシャーはかつて、殺害ムービーの現場からトリエラを救い出しましたが、現在彼がトリエラにしている仕打ちの、いったいどこが殺害ムービーと違うのでしょう? 彼女の体を好き放題にいじり、薬物を投与し、さんざんに痛めつけて。ボロボロになりながら、それでも”ヒルシャーのために”、ピノッキオの頸動脈にその右手を突き立てたトリエラ。泣きながら「彼を殺しました。どうか私を認めて」と語るトリエラを見たとき、ヒルシャーに出来たことは、ただ抱きしめることだけ。

彼は明らかに誤ってしまったし、彼自身、その過ちに気付いてしまった。トリエラは彼に必要とされるために、彼の道具になることを選択せざるを得なかった。彼の言動こそが、トリエラをそこまで追い込んでしまったのです。ラシェルが命をかけて救ったトリエラ。そのエピソードタイトルはShe is a flower that blossoms in bona fides. 彼女は愛の中に、真心の中に咲いた花。その彼女を――ラシェルが世界に残した希望であり、彼自身そう信じたトリエラを――”殺し”の道具にしてしまったヒルシャー。今や、彼の死の線も否定できなくなりました。