理不尽な話

シンフォニック=レイン DVD通常版
 未だによく分からないのは、僕はなぜシンフォニック・レインがどうしてこんなに好きなのか。
 例えばアイドルマスターが好きなのは動画の凄さの次元が違う、という割と明白な理由があるけれど、SRは別になあ。音楽は良いけどあれはストーリーと絡めて初めて本領を発揮する類のものだし、それ自体は声優の歌レベル、というか声優の歌だし。ストーリーもまあ・・・確かにびっくりするし、良く考えられてはいるけれど、あらすじにすると嘘つきたちが嘘の持って行き場を失ってみんなでうろたえる、という・・・

 なんだか妙に身につまされるものがある作品だったんだよなあ。一体誰に感情移入してのそれだったのかがまず全く分からない。主人公のクリスでないことはたぶん確か。実際彼の徹底的な自己欺瞞の殻を突き破る読者はいないだろうし、というより突き破ろうというモチベーションがわかない。欺瞞自体が本質みたいなキャラクターなので。

 まだファルシータなんかは萌えた。自分でお膳立てして自分でネタばらしする辺り、可愛さ余ってチュッチュチュッチュって感じ。名前に反して一番まっすぐなキャラクターなのが可笑しい。「私は幸せになりたいの」とかもうめちゃんこ可愛いですね。ちなみにフェリチタが幸せ。ファルシタとはちょっと違う。うん萌える。萌えるけど別に萌えキャラは他作品にもいっぱいいる。

 リセルシアについては未だに分からない。さっぱり分からない。何がしたかったんだーと思う。当然感情移入以前の問題で、あーん? ホントは全部自分でやったんじゃないの? あのへんの一連の事件も計画の内じゃないの? ホントは手段を選ばない腹黒じゃないの? とかさえ思ったり思わなかったり。でも腹黒に仮定してもよく分からない。フォーニは「クリスに似てるんだよ!」って言ってたから、きっと彼の映し鏡なんだろうけど。確かにクリスは困った男だし。

 トルティニタはまあ可愛い。文句なしに可愛い。こういう裏で何考えてるか分からない女の子に振り回されたいというのが僕の深層心理的欲求なのだろうか。いやいや。感情移入という意味では作中12を争うキャラなのも確か。だって裏面で主役張ってる。というか主人公はトルタなんですなあたぶん。んでラスボスはクリス。ええ、世界平和のためにレベル上げてたら自分が魔王だった! みたいな嫌なゲームですよシンフォニック・レイン

 んでアリエッタ。彼女の不憫さを考えると自然に(´;ω;`)な気分になりますね。そういう意味じゃやっぱり彼女に感情移入してるのかなあ。配置的に彼女、どう転んでも幸せにゃならんぽげ。だって『妖精の本』まで読み進めた人なら知ってるだろうけど、一見ぽややんな彼女の思考パターンはその実トルタと一緒、というか才能があるだけ甘えの効くトルタより、能なしなだけに達観してるニヒリストさんだから、妹を放置してクリスとチュッチュチュッチュとか自分が許さんのじゃないだろうか。というかそういう事態が訪れる可能性を信じてない気がする。可愛そうです。

 最終的に提示される結末は、その可愛そうなアリエッタが妹を蹴落とすわけで、素直に読めばまあ・・・こんだけ苦労したんだしお疲れ様って感じ。逆に素直じゃない読み方をしたら僕が色々妄想してたアレになる。いやトルタならやりかねんデスよ、アルもほらあんな性格だから妹の努力にこっそり協力しかねんでしょう。実際アルの口から自分とクリスの関係を肯定する台詞は最後まで出てきてませんし。「仕方ないなあ」とかどうなんだ。良いだろいい加減自信持てよオメー。

 フォーニさんとか毎回きっちりお別れ言っていくあたり泣かせますね。そのお別れの意味が分かる時はまあ手遅れなんですな。アイマスでかけだしPの頃にプロデュースしたアイドルたちとのお別れがもう取り戻せないのとちょっと似てる。次はもっと上手くやれるそんな気がするのよけどホントにしたいのはアイツをトップアイドルにしてやることだぜーもうできねーウドンやよいー戻ってきてくれー、みたいな。分からん人はアイマスしてください。泣かせます。

 結局誰も自信がない、という世界に惹かれたのかもしれない。うろうろしてる連中の惨めさに自分を照らして興奮したのかも。うん、多分そうだ。みんな惨めで悲しい。そんで惨めじゃなくなった人はみんな旅だっていくんですな。だって惨めな主役と付き合う必要ないもんね。ほらギャルゲ-の主人公が何でみんなにモテるのか、あれみんな惨めだよね。読むの嫌になるくらいみんな惨め。惨めインテグラルでおろかでさみしい。そこんとこシンフォニック・レインは違う。クリスに飽きてみんな順番にどっか行く。これはすごいえらい。

 ギャルゲーだけど月姫の主人公とかは逆にモテて当然な感じ。あれは異色だと思うな、ギャルゲ-のくせに(描写はともかく)主人公が超自信家。いざとなれば不都合はなんでもなかったことに出来るというとんでもない現実改変能力を局地的に意識的に展開できる。便利すぎ自信に実力が伴って最強に見える。ハーレムもできる。こういうお話は痛快愉快で楽しい。逆にFateは辛い。主人公がへなちょこすぎる。自然まわりにもへなちょこが集まる。へなちょこインテグラルが起こり気が狂ってしぬ。

 そうそう、そういう意味ではギャルゲ-的主人公がどんどん追い込まれていくって姿に感激したのかも。無様でどうしようもないなあって思わせられる対象が自分でした、というのはある意味でカタルシス。みんなチャオチャオ言ってどっかいくぜー俺ひとりぼっち可愛そう。時は全てを連れて行くものらしい〜なのにどうして淋しさを置き忘れていくの〜。そうか僕はマゾか。マゾゲーか。シンフォニック・レインはマゾゲー。うそ。

 実際、雨が止んだらハッピーエンドってわけでもない。どう転んでもどこか何かどうにもならないことはある。ただ、その結末を心から信じられる自信みたいなものを要求してくる作品なのは確かだった。さもないとみんな惨めでやりきれない。楽しくない。信じたくなーい!って、一人は現実から目をそらし、一人は目を閉じたまま、一人は偽りにすがろうとしているので、そいつらにまだマシな現実をくれてやるのは読者に委ねられた仕事。変なゲーム。