世にも素敵なバラバラ死体 タクヲPのアレを見て

【Maay@s】アイドルマスター 雪歩 「夜明けの風ききながら」坂本真綾‐ニコニコ動画(SP1)


 僕は画面効果を観たいからアイマスMADを見るわけではないし、
リミックスを聞きたいからアイマスMADを見るわけでもない。


 昨年末、ゲーム『アイドルマスター』を手にして感じたことは、
アイマスという映像作品の持つ暴力的なまでのクオリティである。
この映像美を前にして、全ての理屈は役に立たない。


 UGC結構、新ビジネスモデル結構。話したい人は勝手に話せばいい。
だが、いくらそんな話をしても、結局アイマスは優れた作品なのだ。
アイマスが優れた作品だから、皆こんなに熱狂する。他では無理だ。


(そして、アイマスを遊んだことのない人ほど、この手の話題に熱中する)


 つま先、揺れる髪に至るまで、一挙手一投足が愛しいポリゴンたち。
指先まで計算され尽くした3Dキャラ。仕草、視線、身じろぎにさえ何かが宿る。
アイマスバンナムの鬼才が生み出した傑作である。MADは素敵で当然だ。


 だから僕は、MAD作者の視線、その切り口に最も期待したい。
彼女らが魅力的なことはよく知っている。目を閉じても思い浮かぶくらいに。
僕の視線よりも素敵な角度、その切片を持っているのなら、見せてほしい。


 タクヲPの手法は、恐らく一つのエポックである。
編集手法としてのレイヤーをプロットとして扱った手腕には感嘆を禁じ得ない。
3人のレイヤーが総合される瞬間、驚きと喜びに声を上げた人は多いのではないか。


 僕らは彼女らがそこにいることを知っていて、そうなって欲しかったのだ。
断続的に交錯する画面の裏で、それぞれが歌っていることに半ば気づいていた。
それが確信に近づいた時、3人は実に自然に、有るべき位置に並ぶ。


 僕らは既に、彼女らのあるべき姿を知っている。
手の動きに、さ迷う瞳に、あるいは情景にさえ、彼女らの存在を見い出し得る。
常に全てを現す必要はない。本作で黙示が最大の効果を生んでいるように。


 累積した記憶の中で、アイドルたちは言語化できない輝きをまとう。
語り得ぬその魅力について、タクヲPは一つの切り口を示してくれた。
「手だけ見せるから、全体像は勝手に考えてね^^」ある意味ずるい。


 ずるいが素晴らしい。しかし貧弱一般ニコニコファンには受けが悪そうだ。
何せこのMADの鍵は、見えないものを脳裏に再現する廃機能に他ならない。
一言で一級廃人P向けすぐる。だがそれがいいのは当然に決まっている。


 なんにせよ「うちの子」を越えて他Pに訴えるMADの製作は至難である。
愛情と霊感だけでは物足りない。解釈とセンス、技術と資材も物を言う。
あとは少々のずるさを振りかけるのも手かもしれない。