take the lead

日本人は英語の勉強をするまえにスペイン語とかの勉強をしたほうが良いような気がする。なまじアメリカと文化が似ているだけに、英語学習では日本とは全く違う異文化が存在するという事実が把握しにくい。その点ラテンなアレはそれで、「彼女は頭がよいと言うよりずるがしこい」とか「お礼に無料のキスを一つあげるよ」とかそんな文型見てたら、ああ、こいつらダメだ、とか身にしみてわかるのではないか。考え方も育ってきた背景もぜんぜん違うのだ。なまじっかなことでは理解できないし、全員が理解するつもりもはっきり言ってない。ただし、異文化が理解しがたい異文化であることの理解だけは必要だと思う。さもなければ日本はいつまでも国際大会の閉幕式で盆踊りを流し、スシは褒め言葉として扱われていると信じ、中国人よりも世界でのプライオリティが低いことに気づかないに違いない。
「どうして日本は僕らのことを見ないのか、僕らはこんなに日本に興味を持っているのに」と韓国人がよく言うのだが、それとまったく同じことを日本は世界に向けてしている。本当に相手に振り向いて貰いたければ、相手の性格を調査し、その好みを知って、自分を変えていかないとどうにもならない。しょせん負け戦なのだ。むりやり家に連れ込んで自分の好物を押しつけても、「酷い目にあった」と言われるのが関の山である。
民主主義は気分で動く体制であり、国際社会の大勢がその民主主義国家である以上、国際関係など好き嫌いの延長だ。昔のように鎖国が出来る時代ではない。普段から相手に好かれるように――つまるところ、それを通して、相手に自分に興味を持って貰うために――振る舞うのは国家的なレベルで不可避な選択だろう(さもないと、クジラ騒ぎとか、慰安婦問題とか、いろいろ起こる)。そのためには相手の好みを知らなければならず、そのために相手の背景、文化を知らないといけない。むしろ、自分とは異なる文化の存在が骨身にしみたら、その文化を知りたくなるのは自然な流れではないか。だからこそ近代化以来日本は欧州を見つめて来たのだし。