らき☆すた』がとても難しい題材なのは分かる。どこをどう切り取っても間ばかり、アニメとして、ストーリーとして、流れるメディアの上で連続させるのがひどく困難だ。「丁寧に絵を描く」だけではどうにもならないアニメである。
だからこそ、三話四話付近のテクニックには正直舌を巻いた。なにはなくても停止した構図を動かすタイミング。熟練の技巧を見せて貰った。冴え渡るプロの仕事だったと思う。なのに何故、なぜ、監督交代を? 京アニらき☆すたを完全に時間繋ぎ作品と見限ったのだろうか。代わりにクラナドに全力投球を?
馬鹿な。あんなものこそ絵をきちんと動かすだけで誰でもアニメ化できるし、そもそも全力投球すればするほど脚本の粗が目立って惨めになる。そんないい加減な作品はAIRKANONでもう十分やったじゃないか。
以前、青ひげノートさんが危惧していた状況が徐々に現実味を帯びてきているような気がする。「京アニも“大手”へ足を踏み入れたということなのか」。もちろん、この言葉が否定的な意味で使われていたことは自明だ。
参考:http://d.hatena.ne.jp/terasuy/20061122/p1