自意識過剰な僕らの国

日本に何が欠けてるかといって、世界はそれほど自分たちを見ていない、むしろ気付かれてさえいないかもしれないという意識(というか事実なのだが)の欠落だと思う。いわば夜道の歩行者である。

こちらから車は見えているから安心してちゃんとしているつもりでいるけれど、実はあちらからは歩行者は見えてない。

これは何というか仕組みというか現実的にそういうもので、どちらが悪いというわけではないけれど、実際ぶつかって被害が大きいのは歩行者なので、面倒でも反射材付きの上着を着るとか、黒い服は着ないとか、そういう認知対策を取らないといけない。そしてどうも、日本はこれを怠っているような気がする。


実際日本のことなんてほとんどの人が真面目に勉強したことなどないし、そもそも知りたいとも思っていない。何せ、世界の中心はアメリカとヨーロッパであって、日本など極東のさらに島国である。距離的にも文化的にも、あまりに遠すぎる。実感できない。

一方、他人の悪口を言うことが好きな人は多いから「絶滅寸前の鯨をどんどん捕る国」「アジアを侵略した国」といった多分にプロパガンダ的な情報、あるいは「マニアックな風俗がたくさんある国」「アニメ」「Geisha」といったエキセントリックなイメージだけはとにかく簡単に先行する。

日本には世界最高峰の電子器機や自動車があるじゃないか、という反論もあるかもしれない。しかし、例えばコロンビアなんて「麻薬カルテルと革命?」程度の認識でもコーヒーは美味しく飲めるのだ。工業製品しかりである。


結局のところ、日本には、根拠のない自信過小と同時に、根拠のない自惚れがあるんじゃなかろうか。世界中から僕らは見られてる!というやつ。見られてない、見られてない、ちっとも見られていないです。自意識過剰。悲しいけれどリアルな存在感は中国のが圧倒的で、日本人のリアルはカメラを持った観光客。

生活する実体としては認識されていないから、よくわからないファンタジー的なイメージもすんなり受け入れられてしまう。鯨を生のままむさぼり食う謎の日本イメージ。毎日sushiを食べる吊り目の日本人イメージ。職人、製造者としての日本人のかわりに、製品として元から存在するカメラや自動車。

確かに、日本の文化は特殊で偉大かもしれない。その特殊性はある意味で恐るべき偉大さを秘めていると僕も思う。ただし、世界には、普通に恐るべき偉大な文化はたくさんあるのだ。
それを知らないままに、あるいは何が違いなのかを考えもしないままに、やっぱり日本一は世界一やでと無意識にやらかしているのが、日本人の深層心理で、色んな国際問題の根のような気がするのだけれど、どうでしょう。