姿勢の問題

言ってしまえば、たかがアニメであり漫画でありゲームである。そんなものを武器に、戦争の是非であるとか、近親相姦であるとか、運命であるとか、その手の問題に軽々しく踏み込むべきではないと僕は思う。「自分はそれを扱える」と思うようなうっかりした人には特にやめて欲しい。子供には分からないことが確かにあるから学校があるのであり、全てが誰にでも分かるわけではないから大学や研究機関があるのであり、それでもどうにもならないことが実際あるから宗教が存在する。そういう現実認識を疎かにしているからこそ、そんな語り手は極めて観念的な問題を子供にでもわかるかのように扱ってしまうわけだが、これは自分の深刻な認識不足を露呈するばかりではなく、同じく認識の不足した受け取り手(主に子供だ)に(間違ったとは言えないにしても)致命的に不十分な判断材料を与えてしまうことになりかねない。答えの出ない問題は祈りとして語られるときのみ正当性を持つ。だが、それがアニメや漫画やゲームでいつも叶えられるかどうか、僕にはあまり自信がない。