海外におけるアニメ雑感・どうでもいい日本のどうでもよくないアニメ

実際日本のアニメの海外における人気と価値というものは日本で報道される以上の側面がある。というのも実際僕らがハリウッドの映画を見るように、あるいはもっと身近なエンターテイメントとして彼ら(当然子供だ)は日本製のアニメに触れている。
彼らには変な先入観もなければストーリーズレしてもいない(要は変に捻くれてない)から、単純に一つのテレビ番組としてアニメを楽しめるらしい。ドラゴンボールベルセルクが人気かと思えばハロースパンクなんかが大人気だったりするし、好みはあまり良くわからないけれど、少なくとも彼らの幼年期の生活において日本のアニメが想像以上の場所を占めていることは疑う余地がない。
ただし、彼らは「日本アニメ」を見ているわけではない。彼らが楽しく見ているものが、実は日本のアニメであるだけの話なのだ。ここを勘違いしてはいけない。日本アニメブランドを云々、などと言ってはいけない。そして実際、それはより素晴らしいことでもある。
つまり、そんなことを通して、例えば彼らは日本人が「床に寝ている」わけでないことを自然に理解してくれるし、*1七夕の星祭りの「風情」を自発的に感じてくれる。これは本当に大きなことだと思うのだ*2

残念なことに日本文化というものは世界で孤立している。植民地化されなかったせいで日本の文化は西洋社会から見れば未改造に残っている。わざわざ立ち寄ろうなどとする旅行客はごく少数だ。インドも行った、タイもシンガポールも中国も行った、けれど日本には来たことがない(し、行くつもりもない)、というヨーロッパ人は大変多い。つまりどうでもいい国なのである。
彼らにとってのアジアとは大中華であり、日本はその中華の中の煌めきの一つではあるけれど、それ自体はどうでも良い国である。悲しいが日本はその程度なのだ。なぜなら彼らは日本を知らないし、知ろうとも思わない。これが現実だった*3

ただしアニメはそこに少し違う風を吹き込んでいる。アニメのおかげで遠く離れた日本に強い興味を持つ人は増え続けていて、今や三十歳前後にも存在する(つまり、僕らの世代だ)。彼らは日本に来ようとは思わなくても、例えば一神教以外の国の価値観を体験し、西洋文明以外の歴史の存在を実感し、何よりも日本的なものの見方を理解しつつある。
ということはつまり、日本という存在そのものに好意を寄せてくれる人たちが増えているということになる。これを素晴らしいと言わずしてなんと言おう。そう、日本アニメの存在は凄い。がんばれ。もっと自信を持ってがんばれ。

*1:畳に寝ると説明してはならない。家中がベッドだと説明したほうが通じがよい場合も多い

*2:一種のマインドコントロールに近いのではなかろうか。

*3:彼らの知っている日本とは、sushiでありgeishaであり、興味とは「本当にいつも生のツナばかり食べているのか」であったり「geishaは本当にやらせてくれるのか」であったり。これが現実である。