スキップ

スキップ (新潮文庫)
『ターン』(感想文未了)に引き続き北村薫氏の『スキップ』を読む。これは面白い。まだ半分ほどしか読んでいないけれど、喜びと共にじわじわとほろ苦さをたぐり寄せる感触がたまらない。多分読むべき本だと思う。これを言うとあれかもしれないけれど、『ターン』は後書きが一番心に響く本だった。「すべきではないとは知っているけれど」と前置きをしながら、つい本音を叫んでしまう著者の気持ちを思うとやり切れなくなる。自分のことをそれほど評価しているわけではない。ただし、それでも最低限節操は守っているつもりだ。言い換えるなら、それ以下の人が多いということを、ここで僕は傲慢にも放言しているわけである(こうして無駄に敵を増やす)。
が。ともあれ北村氏はあえて言う――物語には著者の伝えたいことがある。物語の事象の全てには意味があり、それら全てを貫く意志があると。文字にされないそれ、目に見えない物語こそは世界を作った人の意志であり、それが存在すること、そして何より伝わることを、その語り手は信じているのだ。だから著者は言う。私たちの人生はそれぞれ一つの物語である。では、しかし、まったく私たちの思うままにならないその物語を貫く意志とは、一体誰のそれなのか? 秋の花、ターン、スキップと読み継いで、僕は確信している。物語を読むということは、本当はどういったことなのか、それは本当は、どれほどの喜びに満ちているのか。それを知るために、『スキップ』は読まれるべき本だと思う。