火垂るの墓 英語版

暇つぶしのお友達Amazonコム。何気なくGrave of the Fireflies(火垂るの墓英語版タイトル)を検索してみたらこれは凄い、まさに絶賛の嵐。カスタマーレビュー数も500を越えてまだまだ増える気配です。評判は耳にしないことも無かったとはいえ、内容が内容だけに実際どうなのかと思っていましたが、この反応を見る限り彼らのハートにもガツンと食わせる作品のよう。鬱になるのは万国共通。


海外ネットフォーラム等でこの作品が話題になるたびに、政治あるいはイデオロギーの類の話を持ち込む人物が現れてメタメタになる、というようなことも聞いていたのですが、Amazonのレビューを見る限りその手の書き込みは一割以下で(反面、これはAmazonのような登録制サイトにさえもその程度この手の人物が現れる、という厄介な事実ではありますが)、彼らは予想以上に作品を真摯に受け止めている気配。


一方(「日本のプロパガンダ作品だ!」という想定できすぎる中傷は放っておくとして)批判的意見の中に多く見られ、また興味深かったものは――①セイタは仕事をするべきだった ②セイタはおばさんに頭を下げて許して貰うべきだった ③セイタは銀行口座を持っているのだからそれを使えば良かった ④セイタはせめてお乞食くらいはすべきだった――等々セイタの選択への批判です。


もちろん、こうした指摘のほとんどが、戦時下・終戦直後の日本において、現実的には全くナンセンスな指摘であり、またその問題点(もしそう呼ぶのであれば)が明らかにこの作品の主眼からはずれているとしても、個人的に面白いと感じるのは、それでも「どうして君は素直に死んじゃうんだ?」という強い疑問を持つ視聴者が少なからず存在している、という点。この発想は日本の文化ではちょっと出て来にくいのでは。


その反対に、「どうしてこの作品のキャラクターたちはひと言もアメリカという言葉を発しないのか」という点に彼らは興味を覚えるようです。すなわち彼らにとっての戦争映画はやはりなにがしかの意味で我が国/彼の国の区別があるものとして捉えられている。だからこそ本作が描いた戦時下の弱者という汎人類的な「状況設定」そのもの、その発想自体に、彼らは激しい衝撃を受けているように見えます。


ともあれ、この作品がまっとうに評価されているようでよかったよかった。そしてそれらレビューの三つに一つは「クリネックスを用意しろ」と警告しているのを見て、無性にほのぼのしてしまう一時でございました。Amazonコム大好き。