MISERERE


ヒーリング・ヴォーカル


「ドイツ・グラモフォンの選りすぐりの名演が1枚1890円で楽しめる《ドイツ・グラモフォン・ニュー・スーパー・ベスト101》。教会に響きわたる中世やルネッサンスの宗教曲の歌声。安らぎに包まれる」
 こんな歌を聴いて安らげる人はもはや地上において楽園の住人であるとしか思えない。KYRIE、DOMINE DEUS MEUS、そしてMISERERE。どれも自らの罪を告白し、救いを求める叫びである。この際「神」がなんなのかを私は問わない。ただ確かに、数千年の歴史を通して、人々は「何か」に祈り、救いを求め続けてきた。今もなお。時にはそのこと自体が誤りに繋がったかもしれない。そのこと自体が、悲しみの源になったかもしれない。それでも人は祈らずにはいられない。その存在自体が偽りであり、罪であると自覚した瞬間から。「何か」に。



神よ、汝の御あわれみによりて、我をあわれみ、
汝の深い慈愛によりて、わが咎を消したまえ.
絶えずわが咎を洗い去りて、わが罪を清めたまえ.
われ、わが咎を認め、罪は常にわが前にあり.
ただ汝に向かいて、われ罪をおかし、御目の前に悪しき事をおこなえり.
み言葉のうちに汝が正しきを認め、汝が裁きに偽りなし.
罪の中にわれを、母は生み
われ、不義の中に生まれたり.
汝は真実をのぞみ、わがかくれたるところに智慧の深さを知らしめたまう.

ヒソプをもてわれを清めれば、われ清くならん.
われを洗いたまえば、雪より白くならん.

われに喜びと歓呼を聞かせたまえ.
されば砕かれし骨も喜び踊らん.
わが罪より御顔ををそむけ
わがすべての咎を消したまえ.
神よ、我に清き心をつくりたまえ.
わがうちに新しき確かな霊を与えよ.
われを御前から退けることなかれ.
おんみの聖なる霊をわれより取りたもうことなかれ.
救いの喜びをわれに返し、寛仁な霊をもてわれを支えたまえ.
われ罪人たちに、おんみの道を教えん.
されば罪人、汝に立ちかえらん.

神よ、わが救い主たる神よ、血を流せし罪より
われを解き放ちたまえ、さればわが舌、汝の正義を声高く歌わん.
主よ、わが唇をひらかれよ、さらばわが口、汝の誉れをのべまつらん.
詩編50