シンフォニック=レインが移植されないわけ

id:arsyuさん
(id:arsyu:20050129)
『…内容的に既に完結しすぎてて追加シナリオ等が望みにくいこと、追加曲の作成が実質不可能、インターフェース上の問題でMusicパートが再現しにくい、そして未だに初回版の売れ残りも見かけるくらい。(中略)そもそも、18歳以下にも売れるようになるエロゲー→コンシューマの移植にくらべて、対象があまり拡大しない一般PCゲー→コンシューマ移植ってのの数が少ないという話もありますが。』

一々もっとも過ぎて哀しくなる。まあ落ち着いて考えてみれば、移植されたからどうだってことはないんだけれど。ただこの作品がこのまま、単なる過去のそれになってしまうのは、間違いなく日本サウンドノベル界の損失で、そしてなにより、それはある意味必然だろうということが、とても哀しい。というのも(多かれ少なかれ)謎解きの物語として謎を提示する以上、作品は作品内でしっかり「つじつま」を合わせる必要があるはずなのに、その手のゲームのシナリオの多くは見事にいい加減だ。だからほとんどの場合、私たちに提示される道は、かなり好意的な解釈で無理やり納得してあげるか、あるいは制作側が乱発した後付け設定で煙に巻かれるか、のどちらかしかない。
例えば『クラナド』は確かに名作だったけれど、腑に落ちないところも山盛りだった。なぜ光なのか。なぜ街にココロがあるのか。なぜあんな主人公がモテるのか。何よりなぜあんなにヒロインがたくさん必要だったのか…etcetc. さっぱりわからない。もちろん「まあそんなもんだ」と読み進めることで、けっこう楽しむことはできる(し、実際楽しかった)。けれど   本当にそんなのでいいんだろうか。いや、何が何でも隅から隅まで理詰めで解釈できるようにすべきだ、と言いたいわけではない。ただ、謎だらけで終わってしまう推理物語はやっぱり出来損ないだし、そしてサウンドノベルには、そんな作品があんまりにも多いんじゃないだろうか*1
シンフォニック=レイン』の素晴らしいところ、それは色々あるけれど、その中でも特に重要なのは、ほとんどの謎にきっちりとした答えが導けるにもかかわらず、けして話自体が無味乾燥ではない(それどころか!)ことだと思う。普通は、前者を立てれば後者が通らないし、逆もまたしかり。だからこそ、ほとんどの作品のシナリオは、この二つの極の間、ごく中心に近い辺りを、適当にうろついている。理屈で考えるべきなのか、そんなものだと受け入れるべきなのか、どっちつかずの曖昧な部分を抱えたままに。
実際、そのことは「当たり前」として読者にとらえられているし、(よっぽど酷くない限り)それで良いことになっている。かわりに求められるのは、その不完全な部分を補うものとしての、都合の良い想像力と、それに都合の良いキャラクター設定で、その結果、そういった作品の持つ曖昧な部分は、想像の…悪く言えば妄想のための余地として正当化されてしまう。繰り返すが、すべていけないと言いたいのではない。ただ、こればかりと言うのはどうにも問題に思えてしかたないのだ。それが行き着くところは、結局のところ、断片的なキャラ萌えであって、物語性の否定でしかないと思うから。
シンフォニック=レイン』は、そういった風潮に、強烈な一撃を加えられる作品だったと思う。話の筋道はびっくりするくらいに通っている。明白な結論もある。なのにそれは説得じみていたりしないし、押しつけがましくもない。当然、答えも言ってくれない。だから読者には自分で考える(妄想ではなく)楽しみがあるし、考えないといけない。そう、これはもう完全に読書の世界で、だからこそ、ただ文章を眺めながらクリックしているだけでは、「わかんない」のだ。それこそがこの作品の最大の魅力であり、同時に致命的な弱点でもあった。
いわゆるゲームとしてこの作品を手に取った人のうち、どのくらいの割合が、上記のような楽しみ方を理解できるか、私は知らない。ただ、たぶん、移植に際しメーカーが二の足を踏むくらいには、充分少ないのだろう。そのことがますます本作をマイナーな存在とし、過去のものとして、業界への影響を減衰することは間違いない。あまりに残念だ。誤解を恐れずに言うなら、『シンフォニック=レイン』という作品は、(内容はともかく、手にとってもらえる)18禁の姿で出されるべきだった。18禁というフォーマットには、そういう使い道もある。そしてそれは、今からでも遅くないと思うのだが。たぶん。

*1:まあ「これは推理ものではない、ファンタジーだ」と言い切られたらお終いかもしれないけれど、全く推理要素を含まないサウンドノベルなんて聞いたことないし、なによりファンタジーだとしても、やっぱり「つじつま」は合わせないといけないと思う。