京アニだって駄作は作る
青ひげノートさん(リンク)記事。案の定と言うべきかゴタゴタに。
京都アニメーションは水際立って高度な技術力と優秀な脚本家、監督、プロデューサーを持った貴重な制作元だと認識し、高く評価するけれど。
技術力の高さは確かに素晴らしい。けれどそれだけを見せびらかして散らかすだけでは、映像作品としてはどうあれ、物語を持つアニメとしては評価に値しないのでは*1。
僕は同じく京アニ制作のアニメ『涼宮ハルヒ』を、脚本構成も含めた高度な制作技術の間のバランスの面から高く評価しますし、だからこそ同12話(ライブアライブ)をその「技術力の高さ」から手放しで褒め讃える向きには反対です*2。
*1:その一方で、彼らが原作を愛し、それに忠実であろうとするほどに、彼らは原作の軛に繋がれてしまう傾向も持つように思えます。作品に”論点”を与え続ける彼らの高いプロ意識と教養に基づいたバランス感覚は、通常ここに他社作品よりも十分に適切な折り合いを見出しますが…。
*2:「クラスメイトはポテトじゃない(life can be fun. People are not potatos. )ってことをハルヒが初めて理解した重要な瞬間なんだ」という意味で高い評価を与える意見には反対しません。ただし少々唐突(あるいはキャラクター成長テーマの重複)であり、可能であればむしろセカンドシーズンのクライマックスに持ち越すべきだったのではないかと感じはしますが。(参照:http://www.designchronicle.com/memento/archives/suzumiya_haruhi_no_yuuutsu_ep14.html#commentsのMellowMG氏発言「The reverse character development is jarring」。彼本人はどうやら時系列を勘違いしているにしても)。
涼宮ハルヒ・ネタ
And so the world goes out not with a bang, but with a kiss.
(from 『memento』 comment)