simulaさんが「Kanon初回版をうっかり買った」という日記を付けていたのを読んで、ふと自分にとって価値のあるエロゲーとは一体何なのかしらと思う。魔王さんところで少し話題になっている「下敷き」問題との兼ね合いもなきにしもあらず、エロゲーが系譜というか血統みたいなものを持つのは明かで、それはつまり月姫にとっての痕であったり、一連の学園ものにとってのToHeartだったり。そういった流れは、確かにある。


踏み台にした作品が描き残した情景を埋めようとすること、あるいはさらに先を描こうとする姿勢が読者の目に血統と映るのであれば、その流れの中で際立つ作品たちをなぞることで、彼らの(そして僕らの)追いかけた主題、そして結末のゆくえ(無意識のものだったとしても)を知ることができるような気がする。その意味で美少女ゲームの歴史というのはそれ自体巨大なADVなのかもしれない。


毎月数十本ずつくらい増える選択肢の中から、お金と時間と手間をかけてより好ましい方へと進む。何度でもやり直せる。見たことのある情景も繰り返す。けれど少しずつ違う物語たちは、時折ハッとするような展開を見せて、読者を新しい地平に誘う。何度も間違いながら、そうやって我々は少しずつ目的へ、美少女ジャンルという壮大なADVの結末に近づいてきたのだ。望むと望まざるに関わらず。


最近エロゲーがつまらなくなったのは、それが既に役目を終えたから。なんてことを言うときっといじめられる。間違いない。だから僕はこう言い換える。僕にとっての美少女ゲームの結末はおそらくシンフォニック=レインだった。僕はその中に全ての過去の情景と回答とを見て、それに満足した。僕にとっての価値あるエロゲーたちは全てそこへの道しるべであり、そしてそれらの織り成した物語は、とにかく素晴らしかったのだ、と。