私はこう考えました。

・da capoとは「初めに戻ってやり直し」という意味を持つ
→実際に、思い出すと、da capoはどれもこれも何か問題があり(そうでしょう?)、最終的にal fineに辿り着くまで何度も「初めに戻ってやり直」さなければならなかった。da capoに含まれるエンドは、それぞれ何か、「問題」 を抱えたままなのです。

・al fineとは「終わりまで」という意味を持つ そして、「アルの死」という意味も。
→だからこそ、このエンドのみが、物語的な意味で「結末」を意味します。そして実際に、このエンドのみで、もはや わ ざ と ら し い く ら い に 無遠慮に、「ゲームクリアおめでとう!」と(”本編のヒロイン”)トルタは叫ぶのです。
なお「終わりまで」は、正しくは「alla fine」と綴る…
・「星空を飛ぶ光」とは、アルの(あるいは他の誰かの)魂を意味する
ゆえに、フォーニエンドでさえそれが飛んだ以上、あのエンドでもアルは死んでいる。もしくは、アル以外の誰か」が、あのエンドにおいて「一人、存在しなくなっている」。ならばいったい、あのアル、クリスの側で微笑む彼女は、 「本当は誰」 なのか?
そしてなぜ、「窓」にはカーテンが掛けられているのか。






注意。ここ以降、物語自体に対するネタバレとなります。
止まるなら今。手遅れかもしれませんが、一応。